熟練技術者の退職、技術継承の断絶、暗黙知の消失——製造業各社が共通して抱えるこの構造的課題に対し、学術・現場実装・AI技術、異なる立場の専門家が知見を持ち寄りました。「暗黙知の形式化」と「AIトランスフォーメーションの最前線」をテーマにしたセッションの一部をご紹介します。

開催日:2026年7月24日(金)
会場:テクノプロ・ホールディングス株式会社 本社
主催:匠和会
アジェンダ
| 01 | オープニング「匠和会 設立の背景とプログラム紹介」 オフィスちゃたに株式会社 代表取締役社長・匠和会フェロー 茶谷公之 氏 |
| 02 | 基調講演「AIエージェントを活用したエコデザイン」 東京大学大学院工学系研究科 人工物工学研究センター 特任講師 三竹祐矢 氏 |
| 03 | 先進事例紹介「AIエージェントによる暗黙知可視化の実践事例」 AtPeak株式会社 取締役副社長 藤田正則 氏 |
| 04 | AI実装事例紹介「製造業への実装最前線」 テクノプロ・ホールディングス株式会社 執行役員 Head of AI 齋藤廣達 氏 |
| 05 | パネルディスカッション「AI時代における人間の価値、そして新しい競争のあり方」 登壇者全員(栗田工業株式会社・清水哲氏を交えて) |
| 06 | 懇親会 登壇者・参加者による交流会 |
01 オープニング
「熟練技術者の退職」「技術継承の断絶」「暗黙知の消失」——匠和会設立の背景
冒頭のご挨拶に立ったのは、匠和会フェローの茶谷公之氏。ソニーで初代プレイステーションの立ち上げに参画し、歴代プレイステーション事業のCTO/EVPとして構想・開発・事業運営を牽引したのち、ソニー本社の技術戦略部門長、楽天のAI担当執行役員、KPMG Ignition Tokyo CEO、マッキンゼーではBuild by McKinsey日本統括などを歴任。2026年7月より匠和会のフェローに就任した人物です。
茶谷氏はまず、製造業が直面する三つの構造的課題を共有しました。ベテラン技術者の退職、技術継承の断絶、そして言語化されないまま失われていく暗黙知——これらは特定の産業や企業に限った話ではなく、ものづくりに関わるすべての企業に共通する危機であるといいます。
「ものづくりや技術継承のために皆さんで発信していただき、相互に知識を高め合う。特定企業の売り込みの場ではなく、この産業を復興させていくための中立的なコミュニティでありたい」
― 茶谷公之氏(オフィスちゃたに株式会社 代表取締役社長・匠和会フェロー)
そのうえで本セミナーの狙いを、「暗黙知の形式化とは何か」を考え、AIトランスフォーメーションの最前線の事例から学び、参加者それぞれの現場に持ち帰ってもらうことだと説明。続く三つのセッションの見どころを紹介し、登壇者にバトンを渡しました。
02 基調講演
AIエージェントを活用したエコデザイン——リマニュファクチャリング設計ガイドラインを現場に落とし込む
続いて登壇したのは、東京大学大学院工学系研究科 人工物工学研究センター 特任講師の三竹祐矢氏。サービス工学・PSS設計論を専門とし、循環型経済(サーキュラーエコノミー)に向けた製品・サービス設計を研究しています。
三竹氏はまず、海外発の規制強化を背景に、現場の設計者が「リマニュファクチャリング(リマン)」——使用済み製品の基幹部品を回収・修復し、新しい製品に活用する設計思想——への対応を迫られている状況を紹介。すでに存在する「リマン設計ガイドライン」は学術的な積み重ねがある一方、現場での活用が難しいという課題を指摘しました。
「ガイドラインの文言はどうしても抽象的になりがちです。『モジュール化するべき』『部品点数を減らすべき』——正しいけれど、目の前の製品にどう当てはめればいいのかが分からない」
― 三竹祐矢氏(東京大学大学院工学系研究科 人工物工学研究センター 特任講師)
この課題に対し三竹氏らの研究グループでは、製品の「構造情報」と、どんな工程でリマンが行われるかを記述した「ライフサイクルシナリオ」の二つの情報をAIエージェントに与えることで、汎用的なガイドラインを具体的な製品に即したガイドラインへと落とし込むアプローチに取り組んでいます。単純なルールベースでは対応しきれない、形式知化の難しさに真正面から向き合う研究として、参加者の関心を集めました。
03 先進事例紹介
「根拠」「安全」「責任」——工業現場に求められるAIモデル「PCK」
AtPeak株式会社 取締役副社長の藤田正則氏からは、栗田工業や荏原製作所の水処理プラント・大型ポンプ設計といった実際の工業現場で使われはじめているAIモデル「PCK」の話題が紹介されました。藤田氏は海底ケーブル通信・国際物流システムなどグローバルなITプロジェクトを多数リードし、AI/DXサービス企業の創業・売却も経験してきた人物です。
藤田氏はまず、一般的な生成AIの回答が抱える弱点を指摘します。膜処理設備の運転条件を尋ねる質問に対し、Claudeのような大規模言語モデルは「もっともらしい」答えを返すものの、根拠となる数値や、法規制・安全上限との整合性までは示してくれない——工業の現場でそのまま使うには心もとない、という指摘です。
「間違ってはいないが、言えていないことがある。工業現場で使うなら、濃度や原因特定、『20日後にどれだけ膜が汚れるか』を数字で説明できなければ、そのまま信じてプラントを動かすわけにはいきません」
― 藤田正則氏(AtPeak株式会社 取締役副社長)
そこでAtPeakが開発したのが、根拠・安全・責任の三領域に絞って技術投下したAIモデル「PCK(Process Causal Knowledge AI)」です。物理・化学の因果モデルを変数38万7千・条件(エッジ)15種という規模でグラフ化し、大規模言語モデルはあくまで「その数式と結果をどう言葉にするか」の文章化を担う役割に限定。根拠のない回答を原理的に出せない設計にすることで、工業現場が求める説明責任に応えています。
さらに、ベテラン技術者の知見は自然言語のまま学習させるのではなく、物理理論で裏付けが取れるかを検証する「バックキャスト」のプロセスを経てから知識として取り込む仕組みも紹介。栗田工業・荏原製作所とのプロジェクトでは、実際の工場と対になったバーチャル環境(デジタルツイン)を用意し、新しい設備の組み合わせを検証できる実験環境の整備も進んでいるといいます。
04 AI実装事例紹介
3万人のエンジニア組織が挑む「AI武装化」——テクノプロの現在地
3セッション目に登壇したのは、テクノプロ・ホールディングス株式会社 執行役員 Head of AIの齋藤廣達氏。AWS・IBMを経て上場企業の執行役員などを歴任してきた同氏は、2026年1月にテクノプロへジョインし、AI CoEを立ち上げました。
まず紹介されたのは、テクノプロ自身が取り組む「暗黙知の可視化」の実践例です。ある製造業の顧客が抱える、タンク洗浄に関するベテラン技術者の知見——手順の背後にある物性、さらにその背後にある科学的原理までを、ナレッジグラフを使って構造化し、再現可能な知識として蓄積する取り組みが紹介されました。
「手順があって、その後ろに物性があって、そのまた後ろに原理原則がある。この階層をきちんと整理した上でユースケースとして動かしていく——それが我々の可視化のコンセプトです」
― 齋藤廣達氏(テクノプロ・ホールディングス株式会社 執行役員 Head of AI)
後半では、テクノプロがブラックストーンの100%子会社となったことで得た、Anthropicをはじめとするポートフォリオ企業との連携についても言及。ソフトウェア開発の現場が「プロンプティングの工夫」から「エージェントが自律的にコードを書き、レビューし、デプロイする」段階へと急速に移行するなかで、テクノプロは、要件定義や技術設計を担うFDE(フォワード・デプロイ・エンジニア)と、顧客のビジネスニーズを聞き取るデプロイメント・ストラテジスト、そして現場に精通したドメインエンジニアという「監督者チーム」の育成に取り組んでいると語りました。
3万人規模のエンジニアと2,700社の顧客基盤を持つテクノプロならではの強みとして、「現場のニーズやペインポイントを理解した上でユースケースを共に考えられること」を挙げ、セッションを締めくくりました。
05 パネルディスカッション
AI時代における人間の価値、そして新しい競争のあり方
セッション後半では、登壇者全員に加え、現場実務の視点から清水氏を交えたパネルディスカッションが行われました。モデレーターを務めたのは司会の鈴木氏です。「現場知とAIはどう共存できるのか」「技術継承におけるAIの意義」「AI時代に人が担う価値」という三つのテーマを軸に議論が交わされました。

現場知とAIはどう共存できるのか
司会
現場で培われる暗黙知とは、そもそも何なのでしょうか。
清水氏
ベテランの方が「生物処理装置の匂いが今日はいつもと違うな」と気づいたり、設計者が古い図面を見て「これは現場調査をし直さないと」と感じたり——個人が積み重ねてきた経験に紐づいていて、文書や形式知になっていないもの、それが暗黙知と呼ばれるものだと思います。
三竹氏
本当に言語化が難しいところに、暗黙知の本質があると感じています。面白いのは、AIに「なぜ」と聞く場合と、人間の私たちが「なぜ」と聞く場合とで、返ってくる答えが違うことがある点です。相手に気を遣わずに済むぶん、AI相手だと本音が出てくることがある。この仕組みづくり自体が、研究として面白いところだと思っています。
茶谷氏
日本の産業は、メカニカルやケミカル、ファーマシューティカルなど、デジタル化が進んでいない領域にこそ強みがあります。そことAIをブリッジにしてデジタルとつないでいくことに、大きな価値が生まれるはずです。
司会
では、AIに任せるべきことと、人が判断すべきことの境界はどこにあるのでしょうか。藤田さん、いかがでしょう。
藤田氏
言語化・数式化さえできれば、AIはきちんと動いてくれます。ただ、ものにはなっているけれど暗黙知が隠されている、というケースも多い。そこに気づきを与えられるかどうか——その境界が、おそらくAIと人の違いだと思います。
齋藤氏
現場感からすると、人間がコードを書いたりレビューしたりするより、LLMに任せた方が速く正確なことは既に多い。私たちがやるべきは、彼らが働きやすい環境を整え、最終的に責任を持てる監督者としての立場を明確にすることだと思います。
技術継承におけるAIの意義
司会
若手育成、そして熟練技術の継承に、AIはどのような役割を果たせるでしょうか。
清水氏
若手が自立して新しい発見に気づき、次の一手を打てるようになるには、答えそのものよりも、答えにたどり着くまでの「過程」をうまく学べる仕組みが必要だと思います。
齋藤氏
正直なところ、技術継承より先に「教えてくれる先生を見つけること」自体が大変です。ナレッジグラフでベテランの知の体系を作り、いわば「先生AI」のような存在と若手が対話しながら学べる仕組みができればと思っています。
藤田氏
荏原製作所では、退職が近いフェロー級の方の知見——大学の卒論まで遡ったデータと、そこから導かれる計算式そのものを、対話だけでなくアプリケーションの中に組み込んでいます。流体シミュレーションを行う際に、その場でサジェスチョンが出てくるようにする。ナレッジを「入れる箱」をどう作るかが重要だと考えています。
司会
逆に、AIに任せすぎてはいけない領域はどこにあるでしょうか。
三竹氏
教育の現場で強く感じます。学生に「自分の研究のどこがすごいのか」と聞くと、AIが答えそうな一般論が返ってくることが多い。本来自分で考えるべきことをAIに代行させてしまっている。自分で考え、頑張ったと言える余地を残せるかどうかは、教育的にとても大事な観点だと思います。
AI時代に人が担う価値
司会
AI時代、企業や社会で求められる人材はどう変化していくでしょうか。
齋藤氏
文章を書く力は、もはやAIの方が得意です。突き詰めると、最後に残るのは人間と人間のコミュニケーションだけではないか、という結論になります。
清水氏
研究開発の多くがAIに担われるようになったとき、自分は「責任だけ取らされる」立場になるのではという怖さがあります。
司会
人だからこそできる仕事や能力について、三竹先生はいかがですか。
三竹氏
責任を取ることは人にしかできません。もう一つ、「文脈をつくる」ことも人にしかできないと思っています。誰が作ったか、誰と誰が組んだか——その組み合わせ自体に価値が生まれるプロセスは、AIには代替できません。
茶谷氏
言語化・デジタル化できる手前の情報を「感じる」ことは、まだAIにはできません。長年開発マネジメントをしていると、「この人、もしかして辞めるかも」という感覚が働くことがある。研ぎ澄まされたセンシング能力としか言いようがない領域が、プロにはたくさんあると思います。
議論の最後には、「10年後のAI時代において、決して失われない人間の価値を一つ挙げるとしたら」という問いが登壇者一人ひとりに投げかけられました。
「生きて死ぬこと。死ぬまでの時間が限られているからこそ、その中で何をするかに意味が生まれる」
― 齋藤廣達氏
「現場を見ておくことは変わらない。現場には自然界の法則が反映されていて、そこはまだAIには読み切れない」
― 藤田正則氏
「予想外を生むこと。血の通った、熱量のこもった着眼点は、まだ人にしか培えない領域であってほしい」
― 三竹祐矢氏
「新しい分野を作れること。ただし、それを大量に集めればAIも作れてしまうかもしれない」
― 茶谷公之氏
「個性。個別の場所で生まれ、育ち、人生を過ごすという固有性は、AIには再現できないはず」
― 清水哲氏
06 アンケート結果
回答者47名が語る、満足度・関心テーマ・相談意向
当日は95名の申込みに対し67名が出席(出席率70.5%)。うち47名からアンケートにご回答いただきました(出席者に対する回答率70.1%)。ここでは、その集計結果をご紹介します。
| 95名 お申込み | 67名 当日出席 (70.5%) | 28名 欠席 (29.5%) | 47名 アンケート回答 (70.1%) |
満足度

回答者47名のうち、「非常に満足」「満足」を合わせた満足度は85.1%となり、多くの参加者から高い評価をいただきました。
参考になったセッション

参考になったセッションとしては、全登壇者が一堂に会したパネルディスカッションが最も多く選ばれ、続いてテクノプロ・ホールディングス齋藤氏によるAI実装事例紹介、AtPeak藤田氏による先進事例紹介が高い支持を集めました。
役職層・企業規模別に見る反応の違い
回答を役職層別・企業規模別にクロス集計すると、興味深い傾向が見えてきます。

経営層・管理職では「非常に満足」の割合がともに50%と高く、相談意向も経営層25%・管理職17%とまとまった水準でした。一方、一般・専門職では「非常に満足」13%・相談意向7%にとどまり、現場実務層への訴求は今後の課題といえそうです。

企業規模別では、中小・スタートアップ企業の「非常に満足」47%・相談意向26%が、大企業の37%・11%を上回りました。意思決定の距離が近い中小企業ほど、その場での手応えが相談行動に直結しやすい傾向がうかがえます。
貴社で感じている課題

回答者の半数以上(55%)が「ベテラン社員の知識やノウハウが属人化している」ことを課題として挙げており、技術継承・技能伝承の仕組み化に対する関心の高さがうかがえました。
今後の関心テーマ・受け取りたい情報

今後の関心テーマとしては「ナレッジグラフ/知識構造化」が47%と最も多く選ばれ、本フォーラムで紹介された暗黙知の可視化アプローチへの関心の高さが表れる結果となりました。

今後受け取りたい情報としては「AI活用・AIエージェント活用事例」が66%と最も多く、具体的な実装事例への関心が高いことが確認できました。
参加者の声
「人にしか出来ない事:無から有を産む能力」
「最後に残るのは人と人とのコミュニケーション。人は責任を取るために現場知を増やさなければならない」
「セミナー全体を通じ暗黙知について様々な視点から理解を深めることができた。またパネルディスカッションにおいて10年後に残っていることなど哲学的だが印象に残った」
「パネルディスカッションは登壇者の素が出るので面白いと思いました」
「AIが人と企業、技術を繋ぐ」
「人間に残されるのは責任を取る存在であるということ」

07 懇親会・クロージング
ものづくりの次世代への継承を、共に考える場に
全プログラム終了後には、軽食とドリンクを用意した懇親会が開かれ、登壇者と参加者がパネルディスカッションの続きを語り合う姿が見られました。冒頭で茶谷氏が語った通り、匠和会は特定企業の売り込みの場ではなく、ものづくりに関わる企業が中立的な立場で知見を高め合うコミュニティです。今回得られた気づきをきっかけに、匠和会では今後も定期的にフォーラムを開催していく予定です。