センサ兼アクチュエータを遠隔医療の課題解決に利活用しようと考える名古屋大学大学院医学系研究科・下田研究室。
一方で持続可能な社会の実現に必要な研究開発の推進を通じて、イノベーションを創出する
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)。
この両者の協働を基軸に、遠隔医療の触診を実現するプロジェクトが2024年秋に動き出しました。
テクノプロは名古屋大学大学院特任教授の下田氏からお声がけをいただき、AI導入のノウハウを活かし、様々な議論と検証を繰り返しながら未来の医療の可能性を広げていく役割を担いました。ここではそのプロジェクトについて紹介します。
プロジェクト概要
医師も患者も病状を直感的に理解しあえる 遠隔触診システムの開発
遠隔医療での“触診”を可能にし、
患者と医師双方に安心感と信頼(ラポールの形成)をもたらすシステムの開発から実証までを進めていく本プロジェクト。
具体的には、ゴムを使ったセンサ兼アクチュエータ(e-Rubber)をヘルスケア領域で活用し、遠隔であってもその場で医師が触診しているかのような診察ができる遠隔触診システムのプロトタイプをつくり、患者の腕の触診を通じて『テニス肘(上腕骨外側上顆炎)』の診察ができる見込みが立った。
将来的にはさらに触診の幅を拡大し、医療現場における定量的・再現性のある触診技術を確立していくことを目標としている。
産学連携が生み出す価値
AIが切り開く遠隔医療のフロンティア
![【産学連携事例】遠隔触診向けAIシステム開発プロジェクト[名古屋大学大学院 医学系研究科様]](https://www.technopro.com/design/fwp/wp-content/uploads/2025/06/DSC_0173-scaled.jpg)
高齢化社会に突入している日本では、
遠隔医療分野のニーズが急激に高まっている。通信技術を用いた画像診断やオンライン診療はできても、直接患者の身体に触れることができない分、医療従事者と患者との距離感を縮めることは難しい。
今回のプロジェクトはその課題を解決に導く可能性がある「遠隔触診」に挑戦した。
当プロジェクトの発起人であり、研究開発の中心者でもある名古屋大学大学院・医学系研究科特任教授・下田真吾氏はこう語る。
「まず、本プロジェクトのきっかけは某メーカー様が開発した『e-Rubber』というデバイスの存在を知ったことでした。
『e-Rubber』の実証実験を行ったのですが、これが衝撃的だったのです。まず一人が水を入れた風船を持ち、別の一人が空のまま膨らませた風船を持ちます。そして両者の手にそれぞれ『e-Rubber』を装着し、電極で繋げて水の入った風船を“チャパチャパ”と振れるだけで、空の風船を持った一人にもまるで直接水を感じているかのような臨場感を味わえたのです。この“理屈を超えた感覚”が心に引っかかり、医療の“触診”で何か応用できないかと考えたのが最初の一歩です」
触診を遠隔で実現するには、ハードウェアだけでなくAIによる制御が欠かせない。下田氏が『e-Rubber』と出会った頃に、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は「遠隔システムのAI化」という公募プロジェクトを立ち上げようとしていた。
下田氏は当時を振り返りこう続けた。
「この興味深いデバイスを医療分野で活かせないか?とNEDO側に提案しました。NEDO側もまさに我々が求めているテーマだと即座に理解してくれたのです。そこで10名程度のメンバーを集めて下田研究室、NEDO、『e-Rubber』を開発したメーカー担当者と会議をしました」
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こうしてプロジェクトは立ち上がったが、AI制御の知見を持つ人材が不足していた。そこでテクノプロのデータサイエンティスト、中井克典に声がかかった。
中井との出会いについても下田氏は語った。
「もともと『e-Rubber』のメーカー担当者がテクノプロさんとお付き合いがあり、AIの知見がある人がいるのだけど…と、中井さんのご紹介を頂いたのです。ぜひ一緒にやりたいと思い、私からお声がけしました。『e-Rubber』を最初に触ったときの感覚は理屈じゃないんですよ。何がどう効いているのか説明はできないけれど、誰でも「水がそこにある」と感じられる。この『触覚の再現性』は、従来のロボティック触覚デバイスには見られない強みだと熱弁したことを覚えています。
ただ、理屈じゃないものがAIと親和性があるのかは分かりませんでした」
そこにはAI技術面からは難易度の高さも感じられたと中井は語る。
「AI技術を絡める際には、正確な計測データが大量に必要になります。しかしデータが集まらない。初期は試作機が1台しかなく、連続したデータ収集が困難で、どう進めるかを何度も議論しました。人間の感覚が相手となるからこそ、生体データはノイズも多く、安定したデータの大量取得はほぼ不可能という状態でした。一方で人間は少ない情報量からでも直感的に判断できる。そこが『AIと人間の融合』というこのプロジェクト最大のチャレンジでした」
人間の身体が相手だからこそ精緻なデータを必要とするAIでは難しい。
そしてもう一つ、大きな壁があった、と中井は続ける。
「当初はビッグデータ前提のAIでないと…という<常識>とぶつかりました。いわゆる今のデータサイエンス、特に生成AIのような抽象化された情報はうまく扱えるんですが、人に近づけば近づくほど意味のあるデータにならないところがありました。人間がAIとは違う部分が浮き彫りになったことで、どうあがいてもデータが足りないという結論に至り、従来の統計的手法を駆使してAIの精緻なデータだけではなく、従来のアナログな手法も掛け合わせてハイブリッドにアプローチする道を選択しました」
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これについて下田氏は続けた。
「人間の脳は大した情報量がなくても、自分の中で理解してしまう癖があります。先ほど話した水風船の実験でも、『e-Rubber』というデバイスを通じて、空っぽの風船でも重みや振動を脳が錯覚し『水が入っている』と感じてしまう。
ではどういう風に感じたら水と言えますか?と聞かれても、誰も数値などのロジックで説明できません。しかしこの風船の中に水が入っているかどうかと聞いたら誰でも答えられます。ではなぜ実際には空なのに水が入っていると思ったのかと聞いてもうまく答えられないのです。
それくらい、人間の脳の感覚はアバウトにできている。であれば昔のやり方で十分説明できるよね、それでいいじゃないかという意見も出ました。実際、長年の経験を持つベテランのエンジニアに当時どうしていたかを聞き出し、柔軟かつアナログな手法を活用しました」
本質的な目標を見誤らない様にする事の重要性について中井は語る。「触診することが目的でしたが、どこがよいのかという議論にもなりました。腕じゃないものでデータを取ってみようとか、そこにあるサンプル持ってみようとか、様々な意見が出ました。途中はりんごにしようか、バナナにしようか、バットにしてみようかみたいな話まで出てきたぐらい、幅広く考えて。
でも触診であれば、やっぱり最後は腕が一番いいよねとか本当に右往曲折しました。でも触診で必要なことって何だろうっていう本質に触れる課題設定をチーム一丸で考えることができたのは非常に有意義でした。テクノプロとしても得られたものは非常に大きかったですね」
産学連携の成果
「触診の本質」をエンジニアリングする。
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遠隔で患者の腕の『触診』ができる>
プロジェクトを進めていく中で、医師と患者との信頼関係は、医療行為においても切り離せない要素であることを再認識することになったという。
「触診とはなにか」「触診によって、医療としてどのようなメリットがあるか」といった、医療の本質に触れる局面も感じられたと下田氏は語る。
「診察を受ける患者さんが診察中に医師が触ってくれたかどうかで医療行為に対する満足感が大きく違うようです。コミュニケーションにおける信頼関係の構築、『ラポールの形成』と呼ばれるものですが、これが触診の非常に重要なファクターであるといわれます。
従来の遠隔だとテレビ会議システムを用いて『どこが痛いですか?どうですか?』といった話を伺うだけだったのですが、デバイスを通じて触診ができれば医師も自信を持って診察することができます。今後の高齢化社会の中では病院まで通えないご高齢の方々を診察するという時に、信頼の醸成面でも大きな違いが生まれてくると思うのですよね。
ただの医学的なものではなくて適切なコミュニケーションを生み出していく。そういうシステムまでいけると社会貢献にも直結できると思っています」
今後、テクノプロが実現できること
あらゆる技術領域のスペシャリストが、それぞれの強みを生かせる。
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中井は産学連携に関わるテクノプロの役割やメリットについてこう考えているという。
「当プロジェクトでは、テクノプロからも多くのエンジニアが参加させていただいています。例えば通信分野とか、センサの制御技術、AIの生成を担うところはもちろん、
それ以外の分野でも多くのチームメンバーがそれぞれの自分の得意な技術領域を使ってこのプロジェクトをご支援させていただきました。
例えばプロジェクトの途中でネットワークが繋がらないという問題もあったのですが、弊社内からネットワークのスペシャリストを探すことができ、海外研究所と連携してデモ試験を実施して解決できたりもしました。テクノプロが普段持っている力を十分に発揮できたプロジェクトではなかったかと思います。」
![【産学連携事例】遠隔触診向けAIシステム開発プロジェクト[名古屋大学大学院 医学系研究科様]](https://www.technopro.com/design/fwp/wp-content/uploads/2025/06/DSC_0253-scaled.jpg)
「遠隔医療面でこれまで十分に診察できなかった病気を治していける可能性があるので、未来の医療の姿が少しだけ見えてきたのかなと思います。しかし一方では何が足りないかという部分が浮き彫りにもなりました。
技術の進歩によって容易に繋がれるようになった先に、人間同士がどうすればもっと繋がれるかっていう部分にスポットが当たっていく流れにもなっていくのではないかと改めて実感したプロジェクトでした。
技術進化だけでは人間の幸せには直結しません。
幼少期から「情報リテラシー」や「真実を見抜く力」を育む教育が不可欠です。「誰にも負けない武器」と「生きる力」が今後は求められます。『人間の幸福』について世の中に対する見方も、研究の方向も向いていく必要が出てくると思うのです。
そこで新しいデータの活用の仕方っていうものを今後も見出していけたら面白くなるのではないでしょうか。テクノプロさんにはAI含め、幅広い技術領域で対応できる力がありますので、今後ともぜひともお力添えをいただきたいと思います」
最後に
曖昧だが本質的なテーマの先に見える、技術と人間の底知れない”可能性”
当プロジェクトは単なる技術開発にとどまらず、「人が感じること」「信頼を築くこと」という、曖昧でありながら本質的なテーマに挑んだものである。『e-Rubber』というデバイスが持つ直感的触感から始まり、AI×人間のハイブリッドアプローチで遠隔触診のプロトタイプ開発を実現した。
技術の先にある患者と医師の信頼関係、そしてAIと共存する社会像を描く一端を、下田教授と中井の語りから垣間見ることができよう。今後もこの挑戦が、新たな遠隔医療と教育・社会のあり方を切り拓く原動力となることは間違いない。
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